2013年



ーー−2/5−ーー アルコール・チェッカー依存症


 
 

 アルコール・チェッカーなる道具を日常的に使っている事は、これまでも述べてきた。改めて説明すると、吐く息の中のアルコール濃度を測定する計器である。使用する目的は、まずは飲酒運転の防止。酒を飲んで運転をするような馬鹿な事はしないが、飲んだ翌朝に酒が残っている事があり、それで捕まるのを防ぐという事。そして、車の運転とは離れて、飲酒した翌朝(つまり毎朝)チェックすることで、体調の管理にも役立つ。

 画像に見える左の二つが、昨年まで使ってきたもの。実はこれ以前にも同じものを使っており、三代に渡って使い続けてきたことになる。ちなみに左のものは一昨年の8月から昨年の10月まで、右のものは10月8日から使い始めた。これはいわゆる安物で、メーカーの名前も分からない代物である。それでも信頼して、一代目は四年間に渡り使い続けた。

 四年目に入ると、測定値が低くなってきたように感じた。そこで調べてみたら、この手の計器はセンサーに寿命があり、おおむね一年間が信頼できる使用期間との情報を得た。そこで、同じものを新たに購入した。それが画像の左のものである。これを入手した時点で、毎年買い替えることを決めていた。裏側に購入日を書いた紙を張り付け、一年経ったら次を注文するという具合である。その決め事に従って、翌年購入したのが右のもの。

 ところが、それまで信頼して使ってきた商品が、この三代目になって急に乱れた。動作がおかしいのである。息を吹きかける前に、ウォームアップの時間が10秒間取られるのだが、そのカウントダウンが何度も繰り返される。そして前年購入したものと比べると、表示された値が異常に高かった。何度繰り返しても同じ結果なので、これは信用できないと結論付けた。

 この商品は、千円もしない廉価品である。クレームをするのも面倒なので、そのまま諦めた。しかし、この先何を拠り所にアルコールのチェックを行えば良いか、思案することとなった。同じ商品をまた買っても、同様の欠陥があるかもしれない。そもそも、この商品が正しい値を示していたのかも疑われる。何年も使ってきて、今更の感もあるが、こういうことは疑い出したら不安がつのる。

 そこで、もう少しランクの高いものを求めることにした。運送業界などが業務で使うものは、何万円もするから手が出ない。とりあえず三千円程度のものをネットで探し、その中から購入した。昨年11月半ばのことである。それが画像の左から三番目、黒いやつである。これは計器メーカーとして名のある会社の製品なので、信頼できると思った。この商品は、なかなか気が利いた作りになっていて、それまでの廉価版とは一線を画する雰囲気があった。説明書の記述も、行き届いたものだった。

 ところがである。使い始めてすぐに、どうも様子がおかしいと感じた。値がやけに低く出るのである。一昨年から使ってきたものが0.15(単位はmg/l)を示しても、こちらは0.05というぐあい。家内から「今朝はお酒臭いわよ」と言われるくらいでも、値は0.00を示した。そこで、メーカーに問い合わせをした。そうしたら、現物を調べたいから送ってくれとの返事が来た。その時、購入年月日が記載された保証書の提出を求められなかったので、ちょっと不思議に感じた。ともかく、指定されたサービスセンターに宛てて送った。

 10日ほどして戻ってきた。センサーの動作が不良だったので、代わりの新品を送ったと書いてあった。その対応は評価できたが、記載内容にはわるびれたところもなく、使い方次第では寿命が短くなる事もあるので注意すべしなどという、責任逃れとも取れる事が書いてあって、釈然としなかった。

 送られてきた「新品」を使い始めたが、やはり値が低く出るように感じた。何を基準にそのように感じたかと言えば、過去に使ってきた計器との比較であるから、これも確固としたものではない。以前の計器が高めに出る傾向だったとしたら、こちらが正しいのかも知れない。ただ、片方が一定の値を示しているのに、もう一方はゼロを示すということにならば、疑われるのは後者の方であろう。

 もし、低めの表示がされるアルコール・チェッカーを信用して車を運転し、警察の検問で規定値以上のアルコールが検出されたりしたら大事だ。低い値が出る計器は、高めに出る計器よりも危険である。不安が不安を呼び、事態は混迷の度を深めた。アルコール依存症の前に、アルコール・チェッカー依存症に陥った様相を呈してきた。

 こうなると、多少の出費は覚悟せざるを得ないと考えた。臨時収入(長女から貰ったお年玉)があったので、それにあてることにした。そうして手に入れたのが、画像右端のものである。定価一万二千円ほどのものだが、ネットで安い店を探し、八千円弱で購入した。この品物は、値段だけあって、正確な値が表示されるように感じる。黒いものと比べて、二倍程度の数値が出る。そういう意味では、安心サイドである。しかし、それでも、正確な値が出ているかどうかは、藪の中である。息を吹きかける毎に微妙に値が違ったりするのも気になる。

 こんなことに一喜一憂しながらも、酒を飲まずにはいられない自分を、情けなくも感じるが、安全のためには仕方ない。




ーーー2/12−−− 予備校の授業


 私は高校を卒業するまで、数学が出来なかった。数学だけでなく、他の教科もできなかったのだが、特に数学は印象に残っている。120点満点のテストで、6点などという悲しい記録もあった。「キミはどうしてこんなに出来ないんだ」などと詰め寄る教師もいた。できない生徒をできるようにするのが教師の仕事だ。今から思えば、いったい誰のおかげで給料を貰ってるんだと言いたくなる。

 進学校として名の知れた私立高校だった。中高一貫教育の学校だったが、高校でも若干の募集をした。私も高校から入った「新高一」と呼ばれる部分だった。規律が厳しい公立中学から入った者にとって、なんともだらけた雰囲気の学校だった。教師も生徒も、中学からの持ち上がりで、馴れ合いである。プチブル家庭の子供が、不良の真似をして悦に入るという、軽薄なカラーもあった。その校風に最後まで馴染めず、辛かった。私にとっての高校三年間は、灰色の「灰スクール」だった。

 大学受験に失敗して、予備校の試験を受けたら、思いがけなく合格した。その当時、超一流の呼び声が高かった、S予備校である。ここに入れれば、一年後には東大へ行けるとまで言われていた予備校で、入学試験の倍率も高かった。私のように勉強ができない者が、どうして厳しい試験をパスできたのか、全く不可解である。ひょっとしたら、今は勉強が出来なくても、将来伸びる可能性がある生徒を見定めるような試験だったのかも知れない。もっとも席は一番下のF組だったから、自慢できたものではないが。

 その予備校の数学科には、3Nと呼ばれた、三人揃ってイニシャルがNの、名物教師がいた。その授業は、まさに目から鱗が落ちるようなものだった。

 まず、一時限に二問しか教えない。しかも、最初はものすごく簡単そうに見える問題を扱う。例えば、「浮w*2(ルートXの二乗)のルートを外せ」というような問題である。生徒にとっては、「なんだ、簡単だな」と思える問題である。

 出来の悪い(私のような)生徒はXと答える。少し気が利いた生徒ならば、±Xと答える。しかし正解は、「Xが正の数ならX、負の数なら−X」である。浮ニいう記号は、平方根のうち正の方を表すから、場合分けが必要なのである。このような問題を使って、数学を扱う上での重要事項である「場合分け」と「同値変形」という概念を丁寧に解説する。間違えた生徒にとっては、問題がシンプルなだけに、インパクトが大きく、理解が定着する。

 高校では、このような説明を受けた事は無い。周りの生徒たちも、驚いたような反応だったから、たぶんどこの高校でも似たようなものだったのだろう。今から思い返せば、高校の授業では、「浮w*2(ルートXの二乗)=絶対値X」」というふうに教わったのだと思う。それも正解ではあるが、機械的にそのような事を覚えても、理解が深くないから、すぐに忘れてしまう。予備校の教師は、そこまで見抜いているのである。

 このような授業が続いたある日、教師は言う「こんなペースで、こんなに基礎的な問題をやっていて大丈夫だろうか?と感じている人が多いと思う。でも、これでいいんです。焦って別の問題集などに手を出す人もいるかも知れないが、それは必要無いから止めなさい。予習の時間が余ったら、別の教科の予習でもしなさい。このままひと月くらい経てば、誰もこの授業に疑いを持たなくなるんですよ、毎年」と。たいした自信である。

 ちなみに私が三年間通った灰スクールの数学の授業は、一時限に20問以上の問題を扱うこともあった。扱うと言っても、当てられた生徒が、休み時間に教室の前後と横の黒板に回答を書き、教師がその答え合わせをするだけ。そんな授業は、できる生徒にも、できない生徒にも、意味が無い。

 3Nの一人は、こうも言った「数は少なくても、質の良い問題を、じっくり考えて解くことが大切である。その習慣が身に付けば、見たことが無い問題でも、自分で考えて解けるようになる。大切なのは、本質的な思考である」

 予備校の授業は、この数学を始めとして、どの教科も充実していた。とにかく面白いのである。そして興味を抱くから、自然に入ってくる。私は、夜寝ている間にも、夢の中で数学の問題を解くほど熱中した。

 その結果、あれほどできなかった数学が、8ケ月後には、ほとんどの大学の入試問題が、すらすらと解けるようになった。本番の入試でも、本命の大学はさすがに少し手ごわかったが、合わせて受験したW大やK大の問題は易しかった。試験時間の半分で全て解き終わり、十分に見直して満点であることを確認し、やることが無くなって退屈だった。しかし、周囲の受験生は、頭をかきむしるようにして問題に取り組んでいた。それを見て、問題がもっとあるのかと不安になり、問題用紙の裏面を確認したほどであった。そのうちに、こんな問題では差が付かないから、他の教科も頑張らなければと、気持ちを引き締めたりした。

 受けた大学は全て合格した。受験が終わって、一応母校へ報告に行った。「えーっ、君が、嘘だろう?!」と言って、疑うような目付きで私の顔を見た数学教師の、顎が外れたような驚きの顔が忘れられない。

 このような、恥ずかしい過去の出来事を述べたのは、通った高校の悪口を言うためではない。ものには教え方があるという事を言いたかったのだ。一方的に押し付けるような教育では、成果は上がらない。生徒をかいかぶらず、あなどらず、理解の進み具合を確認しながら、興味を育むような説明をする。そうすればおのずと生徒は伸びる。本質的なものを掴めば、自分で考え、応用する力が付く。そうして身に付いた学力は、本物である。





ーーー2/19−−− オペラをかじる


 時々図書館へ出かける。お目当ての本を借りることが多いが、時にはたまたま目にした、予想外の本も借りる。これまでの自分の関心の外にある、したがって自分では購入する可能性が無かった本を借りるのは、図書館の使い方の一つだと思う。

 最近はCDも借りる。当初は、聴き馴染のある曲を選んでいた。そのうちに、これまで全く聴いたことが無い曲や、未知の作曲家の作品に手を出すようになった。金を出して買う冒険はしたくないが、只で借りられるのなら、外れでも問題無い。そんな中に、拾いものが見付かるかも知れない。新しい楽しみというものは、関心が無かった分野に存在するものである。

 これまで全く聴くつもりが無かった、シェーンベルクやストラビンスキー、はたまたワグナーなどを借りてきた。さらにエスカレートして、絶対に好きではなかった分野、オペラに手を出した。第一番目は「トスカ」。

 私の音楽の聴き方は、工房で仕事をしながらのBGMである。そのような聴き方は、いささか不謹慎だとは思う。極東の小さな島国の、田舎の作業場で、自分の曲がBGMで聴かれていると知ったら、モーツァルトやベートーベンは、草葉の陰でどう思うだろうか。

 いつもの通り、工房のスピーカーから「トスカ」を流した。何回か繰り返して聴いているうちに、少し興味が深まった。ネットであらすじを調べてみた。その上で、CDケースに入っている歌詞本を開いて、触りの部分だけ歌詞を追って聴いてみた。そうしたら、グッと来るものがあった。

 その体験をSNSに載せて発信したら、知り合いから「歌詞が分かると楽しめますね。DVDで観ることを勧めます」とのコメントがあった。そこで、図書館から借りてくることにした。書架にはほんの数点しか無かったが、その中からとりあえず聞き覚えのある「蝶々夫人」を借りてきた。

 オペラを全曲通して観た事は、これまで一度も無かった。こればかりは仕事をしながらというわけには行かないので、居室のパソコンで観た。2時間半に近い作品である。最後まで見終える事ができるか、初めは不安があった。ところが、じきに引きずり込まれた。これはなんとも凄いものだと驚いた。オーケストラ、歌唱、台詞、演技が一体となって、グイグイと胸に迫ってくる。予想を超える感動だった。

 味をしめた私は、次に「椿姫」を借りてきた。こちらも素晴らしかった。まさに鬼気迫るパフォーマンスである。完璧に打ちのめされた。歌劇場の観客の反応がエキサイティングだったのも肯ける。カーテンコールも大いに盛り上がっていた。

 音楽に載せて台詞を発するという事が、非現実的に思えて、これまでオペラが好きではなかった。全てがわざとらしいような印象もあった。しかし、今回改めて接してみて、これも一つのスタイルだと割り切れば、何の違和感も無かった。むしろ、これでもかと言わんばかりの激しさが、ストレートに心に響いた。素直な気持ちで触れれば、芸術は扉を開いてくれるのである。

 この歳になって、また一つ楽しみが見付かった。こんどはぜひ、劇場で生のオペラを観たいと思う。





ーーー2/26−−− ブログの効用


 私はブログに、毎日の仕事を画像入りでアップしている。4年前にブログをスタートした時から、一貫してその方針でやっている。そのようにした理由は二つあった。

 まずは木工家具工房の仕事を、リアルタイム感覚で世の中にアピールすることだった。そのアイデアは、当時学生だった息子から提案された。趣味のフィギュア製作のブログを検索すると、製作工程を画像入りで説明しているものがよくあるのだが、そういうブログは見ていてとても楽しいと。そういう類の面白さは、私にも共感を覚える部分があったので、ブログを始めるにあたって、同様の方針で臨むことにした。そのようにして仕事の内容をオープンにすれば、理解をしてくれる人が増え、最終的には家具の注文に繋がるだろうとの目論見もあった。

 もう一つの理由は、作業の記録として残すことだった。これも色々な意味で有効だと感じている。同じ品物を作るとき、以前どうやって加工したか、過去のブログを見て参考にすることはよくある。また、過去の製作風景を見て、自分ながら立派な仕事をしていると感じることがある。そのような時は、過去の自分から励まされたような、あるいは活を入れられたような気持になる。以前これだけのことが出来たのだから、それと同等、あるいはその上を行く作品を作らねばならないと、気を引き締める事もある。

 これらの理由で始めたブログのスタイルであるが、想定しなかったメリットがあった。読者からの投稿で、新しい知識を得ることがあった。発信することしか考えていなかった私にとって、これは有り難い出来事だった。それは恐らく、私だけでなく、他の読者にとっても有益な事だっただろう。私のブログが、ささやかでも木工技術の交流に役立てば、嬉しい事である。

 また、家具の注文を下さったお客様から、製作の進み具合を毎日見ることができて楽しかったという話を、しばしばお寄せ頂いた。これも言われて初めて気が付いた事であり、当初は予想もしなかった。確かに注文した家具が、着々と出来上がって行く様を見るのは、楽しい事だと思う。それはオーダーメードならではの世界であり、製品に付加される価値として、見逃せない部分かも知れない。

 あるお客様は、注文した家具が出来上がっていく工程を、ブログからコピーしてプリントアウトし、一冊のファイルを作られた。それを、工房へお越しになった時に見せて下さった。そしてそのファイルの表紙に、製作者のサインを欲しいと言われた。そのような楽しみ方もあるのだと、ちょっと驚いた出来事だった。同時に、製作者として、冥利に尽きる気がした。





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